2014年10月27日月曜日

コリン・マクフィーの続編?

昔のmixiからの転載。2005年の日記だけど、いまだにこの本読み終えていない。
その間にamazonではキンドル版まで出ていた。時代は進んでいくなあ。

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【注意:バリ舞踊やガムラン好き以外にはムダに長文】

バリ島に興味を持ち始めると、 
ウォルター・シュピースと、 
コリン・マクフィーの名前によく出くわす。 

ともに30年代にバリで暮らした芸術家で、 
シュピースは画家、マクフィーは音楽家。 
ふたりともバリ舞踊やガムラン音楽に興味を持ち、 
シュピースは当時廃れていた伝統的な男性合唱をもとに、 
現在のケチャの形を作ったひとでもある。 

一方、マクフィーは、ガムラン音楽の研究と採譜に努め、 
現地のガムラングループを再興させたり、 
昔ながらの王宮ガムランの楽器を復元させたりした人。 
また、ウブド近郊のサヤン村のアユン川沿いに屋敷を構えて、 
五つ星ホテルが立ち並ぶ、現在のサヤン発展の祖となった。 

マクフィーには、バリ滞在の日々を綴った 
「熱帯の旅人」という著作があり、 
バリの文化、音楽の案内書として優れているだけでなく、 
バリ旅行好きのバイブルみたいになっている。 

と、そこまでは知識として知っていたのだが、 
「熱帯の旅人」の邦訳は現在絶版で、 
本屋で探してもなかなか見つからない。 
ところが、先月のバリ旅行中に、ウブドの貸本屋で発見。 
かなり出来すぎなシチュエーションだが、 
ウブド滞在中の、読書の友として重宝した。 

3日ほどで読み終えたのだが、 
ウワサにたがわぬオモシロさ。 
それまでなんとなく観ていたバリ舞踊やガムランの公演も、 
急に、違う角度が見え始めたような気がしてきたから不思議。 
これぞまさにバリ好き必読の書だと、 
今更ながらに納得したのだが、 
帰りの空港で、「熱帯の旅人」の続編のような本を発見した。 

「Dancing Out Of Bali」というタイトルで、 
50年代に、グヌン・サリの欧米遠征ツアーを実現させた 
ジョン・コーストという英国人が著者。 

この人がたいへんな経歴の持ち主で、 
太平洋戦争中には日本軍の捕虜となり、 
ビルマでタイ・ビルマ間の線路建設に借り出されるという 
『戦場にかける橋』そのままの体験をする。 
その後、インドネシア大統領になるスカルノの顧問として、 
インドネシアの独立運動に関わる。 
独立後は、ガムラン音楽に魅せられて、 
一流の楽団を連れて欧米ツアーを行おうと思い立ち、 
政府の職を辞して、バリ島にやってくるのだ。 

ちなみに、巻頭の紹介文によると、 
ボブ・ディランを最初にロンドンに連れてきたり、 
ラヴィ・シャンカールを西洋に紹介したのも、 
このジョン・コーストさんだそうな。 

そのコーストが書いた本が、 
なぜ「熱帯の旅人」の続編かというと、 
コーストはマクフィーとは面識がないのだが、 
「熱帯の旅人」を熟読していて、 
マクフィーが雇っていた料理人を探し出したり、 
マクフィーが引き取ってダンサーに育てた少年を 
(もう大人になっているが)自宅に同居させたりして、 
バリにおけるマクフィー一家を再結集させてしまうのだ。 
しかも、このくだりが、 
少しずつ「熱帯の旅人」のメンバーが集まってくる、 
「七人の侍」パターンなのが面白い。 

さらにマクフィーゆかりのプリアタンの歌舞団グヌン・サリが、 
またも解散状態に陥っていたところを再結成させて、 
特になんのつてもない状態から、 
欧米ツアーにまでこぎつける……はずなのだが、 
実はいつまで経っても、そこまで読み進めることができない。 

理由はひとつ。 
当たり前のことだが、この本、英語で書かれているのだ。 
いくら電子辞書と首っ引きでも、遅々として進まない。 
しかも、このところバカみたいに忙しくて、 
本を読めるのは、電車で移動している間だけ。 

ネットで探してみたけれど、日本語版などありそうもなく、 
続きが気になって、もどかしくってしょうがない。 

とにかく、 
グヌン・サリとか、マンダラ翁とか、 
踊りの天才マリオとか、サンピ少年とか、 
そういったキーワードに反応する人なら 
絶対に読んで損はない本だと思います。 

読み終わってからオススメするのでは、 
果たしていつになるか見当が付かないので、 
フライング気味に、紹介してみた次第です。 

http://www.amazon.co.jp/dp/B00850ZMYG/
ちなみに序文を書いているのは「ジュラシックパーク」社長の弟ことサー・デヴィッド・アッテンボロー。

(mixi 2005年11月21日)

2014年10月26日日曜日

リプレイスメンツとリチャード・リンクレーター。

再結成したリプレイスメンツが精力的に活動しているのがめでたいことと、
リンクレーターの新作が公開されることもあって、
ずいぶん前にmixiに書いた日記を再掲。

mixiを長らく放置してますが、多少の公共性のあるものは
備忘録的にこちらにサルベージしようかとも思います。

【2005年9月20日】

先日、『スクール・オブ・ロック』の 
リチャード・リンクレイター監督に電話取材した。 

実際には、新作『がんばれ!ベアーズ』の取材だったのだが、 
最後に、以前から個人的に気になっていたことを訊いてみた。 
えらくノリノリで話してくれたので、 
どうせ誌面にはのらないから、ここで多少修正しつつ採録。 

-『スクール・オブ・ロック』にジャック・ブラックが小学生たちにロックの歴史を教えるシーンがありますが、黒板に書かれたヒストリー・ツリーに、The Replacementsの名前がありましたよね? 

リンクレイター イエス! 

-僕的には大喜びだったんですが、日本でもアメリカでもロック史を代表するほど有名なバンドではないのでは……? 

リンクレイター うむむ。でもさ、彼らには熱狂的なファンがいっぱいいるよね! 実はあの黒板にはほかにもあまり知られていないバンドやミュージシャンの名前がたくさんあるんだ。The ReplacementsとPaul Westerberg(The Replacementsのフロントマン)は、僕自身が大好きだからどうしても書かずにはいられなかったんだよ(笑)。あのツリーを作るのは最高に楽しい作業だったなあ。なにせ監督だから誰であれ自分のお気に入りを書くことができたからね。 

-The Replacementsを“書かずにはいられなかった”だなんて本当に嬉しいです。 

リンクレイター こんなところでファン心を共有できて僕も嬉しいよ。そういえば知り合いがPaul Westerbergの友達でさ、彼に『スクール・オブ・ロック』を勧めてくれたんだよね。「面白いし、アンタのバンドの名前も出てくるから」って。それでPaul Westerbergも『スクール・オブ・ロック』を観てくれて、とても気に入ってくれたらしいんだ。もちろんお世辞かも知れないけどさ、映画を通じてWesterbergとコミュニケーションが取れるなんて最高にハッピーだったよ! 

とまあ、 
ファン以外にはどうでもいいやり取りでしょうが、 
キュメロン・クロウに次ぐMats&Westerbergファンの映画監督として、 
ここにリチャード・リンクレイターを認定したいと思います。


2014年9月13日、ミネアポリス/セントポールでのリプレイスメンツのライブ会場。地元感と芝の香りが気持ちいいローカルな球場でした。

ジャック・ブルースを観た(22年前に)

ジャック・ブルース。案の定というか当然というか、訃報の肩書は「元クリームのベーシスト」。

クリームは、クラプトンの「ライブの途中でギターを弾くのを止めたら、ほかの2人は気づいた様子もなく弾き続けていて、その時に終わりだと思った」というエピソードが好きですが、正直ジャック・ブルースについてはあんまりよく知らない。ウチのCD棚にはクリーム数枚と、グラハムボンドオーガニゼーションくらいしかないし。

ただ二十歳のときにライブを観た。ロンドンで。

貧乏旅行でテントシティに泊まり、マクドナルドでさえ高いと思えるロンドンでは、当時ピカデリーサーカスの地下にあった日本の弁当屋で鮭フライ弁当を買うのが精いっぱいだったが、せっかくなんでライブには行ってみたい。

ストーンズ所縁ってことでライブハウスのマーキーに行ってみたら(当時の)当世風のベタなヘビメタバンドがやっていて拍子抜けだったんで、せめて知ってるひとのライブを観ようとタイムアウトを開いたらジャック・ブルースの名前が飛び込んできたのだ。

ガイドブックには治安が良くないと書かれた地域の、古い劇場を改装したライブハウスは、それなりにリッチそうな服装の白人の中高年ばかりだったが、自分以外に2人だけアジア系の女性がいて、ちょっと話したら日本のひとで、「今日はドラムがサイモン・フィリップスなの、ジャック・ブルースはどうでもいんだけど、サイモンが素晴らしいのよ」と力説していた。

ステージにはドラムセットと、ベースアンプ、そしてマーシャルのギターアンプにクラベビのワウペダル。それだけのセッティングで、出てきたのはブルースとフィリップスと、名前忘れたけど若いバカテク系のギタリスト。

で、二十歳の自分からすればブルースの見た目はただのちっこいオッサンで、ちょっと甲高い歌声も情けなく響き、でもブルースもフィリップスもギターのあんちゃんももうやりたい放題に弾きまくっていて、その轟音に上品にワイングラスとか持って立っていたお客さんたちはなんとも反応しづらそうで、ヘンなものを観たなあという印象だけが残っている。

日本人の女性2人は「サイモン素晴らしかったわっ!」つって帰って行って、夜中にひとり、下町風の街並みをこわごわ地下鉄の駅まで歩いて、特に襲われもせずいまも生きていることを感謝します。いまさらだけどジャック・ブルースのソロでも聴いてみようかしら。