2016年8月18日木曜日

もうすぐ死ぬCIAエージェントがもうすぐ死ぬテロリストを追うニコケイ映画『ラスト・リベンジ』

先日のアントン・イェルチン追悼オールナイトで観た『ラスト・リベンジ』が、ダメな映画と言えばダメなんだけど、なんだか無視できない圧があって引っかかる件。

主演はニコラス・ケイジで、イェルチンは相棒役。ベテランのCIAエージェントが22年前に取り逃がした(と本人が信じている)テロリストの手がかりをつかむが、末期の認知症に冒されていて、執念の探索にも支障が生じてくる。記憶は曖昧になり、情緒は不安定になり、現代と過去の境界すらおぼろげになっていく……。

初見だったのですが、正直最近スティーブン・セガール化しているニコケイアクションの一本だと思い込んでいた。ところがアクションは主軸ではなくて、対テロや国防に身を捧げてきた男がアイデンティティが崩壊する前に、自分を拷問したテロリストを捕まえようと躍起になる話。

しかも22年間潜伏していたテロリストが遺伝性の難病を患っていて、特殊な治療薬を定期的に購入していたことから足が付く、という展開。つまり脳を冒されて余命いくばくもない主人公が、身体を冒されて余命いくばくもない宿敵と対峙する異様な構図なのです。

放っておいてもじきに死ぬ相手を、もうすぐ死ぬ男が余命をかけて追い詰めようとする。この狂気混じりの執念を描いている監督が『タクシー・ドライバー』のポール・シュレイダー(脚本も)ってのも納得。

もともとはシュレイダーの脚本をニコラス・ウィンディング・レフンが監督し、ハリソン・フォードとチャニング・テイタムが共演する予定だったという。『ドライヴ』を撮ることになったレフンが降板して、レフンは製作総指揮を務めつつシュレイダーが監督を兼任することで実現にこぎつけたそうだ。

ところがプロデューサーがシュレイダーから作品を取り上げて勝手に編集し、シュレイダーの意にそわない音楽を付けたのが現在の完成バージョン。撮影監督もデジタル処理で画調をいじられたことに腹を立て、ポストプロダクションには関わらなかったという。

内情のゴタゴタがダイレクトに反映されたのか、作品としての出来栄えはかなり微妙。「アレレ?」と思う強引な展開を全力勝負でねじ伏せるニコケイの大熱演とか、死にゆくもの同士が憎み合うことのテーマ性とか面白くなる要素はいっぱいあるはずのに、どこかチグハグで散漫なのだ。

シュレイダーのバージョンは観ることができないので想像するしかないが、とにかく完成版は音楽と編集がダサい。最大公約数としてのB級アクションのフォーマットを完全になぞってしまっている。プロデューサーはB級なりの売れ線を狙ったのかも知れないが、作品を安っぽく見せる結果にしかなっていない。

とはいえシュレイダーが個人の妄執と世界情勢やアメリカの現状への不満をぶつけた激熱な脚本を書いたことは伝わってくるし、思惑とは違った作品に作り替えられたことで作品本来のイビツさが怪我の功名的に際立った瞬間もある気がする。

結局シュレイダー、レフン、ニコケイらが本作のボイコットを呼びかける最悪の事態になり、アメリカでは劇場公開されずネット上でリリースされたそうだ。不運な映画、というしかないが、それがアントン・イェルチンの追悼上映の一本になることで「死者」というモチーフがアンプリファイされ、もしかするとシュレイダーが目指した姿に多少は近づいたのではないか。

ちなみに今回の新文芸座のチョイス(『オッド・トーマス』『ゾンビガール』『ラスト・リベンジ』『君が生きた証』)が本当に素晴らしくて、イェルチン自身が見舞われた悲劇が残された作品を先鋭化させる奇跡のような効果をあげていた。

ともかく「いつものニコケイ映画だろう」と思っている人にこそ、シュレイダーやニコケイの本気が先走った珍奇な野心作として観ていただきたい。つまんねえって言われても責任は取りませんけども。でも飛び抜けて珍奇な怪作であることは保障いたします。あといつものことだけどニコケイが本気であればあるほど可笑しいニコケイクオリティの安定感よ。


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