2019年12月24日火曜日

【わりと緊急!】ハル・ハートリーの新作プロジェクト『WHERE TO LAND 』のクラウドファンディングのこと。

滅多に書かないブログを久々に書きます。
《長文:クリスマスの、いや誕生日のお願い》
世の中的にはクリスマスイブですが、自分的には誕生日ってことでちょっとワガママを言ってもいいだろうと、これを読んでくれているみなさまに一方的なお願いがあります!
 
村山がここ3年ほど関わっているNYの映画監督ハル・ハートリーが、現在、新作映画の資金を集めるクラウドファンディングを募っています。ですが、ぶっちゃけかなり厳しいペースだと思っています。
 
ハートリーはすでに脚本が完成し、キャストも決まっているている長編のために約3300万円を集めようとしており、今日の時点での達成率が40%ほど。30日間の募集期間が2/3過ぎていて、残り11日(1月5日午前5時〆切)。
正直もうなりふり構っていられないなあと思いました。だから必死感出てると思います。ごめんなさい。
 
で、何が言いたいのかって、ハートリーを好きじゃない人に支援してくださいとはとてもじゃないけど言えない。言えないですが、例えば自分の世代で90年代にハートリー作品を観ていた人はそれなりにいたはずだし、2014年のリバイバル以降、新しい世代のファンも育っていて、自分はまだまだ現役の監督だと思っているわけです(アップリンクで今やってる初期短編特集には、実際、驚くくらいお客さんが来てますし)。
 
しかしながら、ハートリーが新作を作ろうとしていることすらまだ全然知られていない。自分の力が及んでいないのは重々承知していまして、残念ながら自分にはハートリーのポテンシャルに見合うだけの波及力がない。。。
 
新作が観たくてたまらない一ファンとして、ひとりでもクラファンに参加してもらえると本当に嬉しいですが、もちろんハートリーの作品にピンとこない人もいるでしょう。それはそれとして、この話題を広げたり、ハートリーという映画作家を知ってもらうために、お力を貸していただけないでしょうか?
 
具体的に何をとは申しませんが、平たく言えば「拡散希望」です。とりあえずクラファンの募集ページをURLを貼りますね(日本語の説明もあります)。
 
【新作プロジェクト『WHERE TO LAND 』クラファンURL】https://www.kickstarter.com/projec…/260302407/where-to-land/
 
あと、さっき書いたように「初期短編特集」が現在アップリンク渋谷、横浜シネマリン、大阪シアターセブン、京都出町座で上映中してます。短編なんで少々マニアックですけども。
 
そしてハートリーの入門編として、最も愛されていると言っても過言ではない名作『トラスト・ミー』の上映会を高円寺シアターバッカスで年末29日、30日にやります!
 
30日の夜の部はまだお席が空いてますので、ハートリーを知らない、名前だけしか聞いたことないという人におススメです。この機会に観てみていただけると嬉しいです。
 
【クラファン連動企画『トラスト・ミー』年末特別上映】https://halhartleyscreeningsjp.jimdosite.com/
併映:29日『あみこ』、30日『はなしかわって』
ゲスト:山中瑶子監督、大島衣提亜氏、Gucchi's Free School
 
また『トラスト・ミー』を含む初期三部作「ロング・アイランド・トリロジー」が、12月27日より一週間、アップリンク渋谷の「見逃し映画特集2019」で上映されます。
 
また同業者や映像、メディア関係の方でハートリーの過去作観たいっていう方、いらしたら連絡ください。なにかしらなんとかします。クラファンの〆切が迫ってるんで、とりあえずは誰もが忙しい歳の瀬限定の対応になって申し訳ないですが。
 
シビアなことを言うと、100人200人集まってどうにかなる額じゃないので、大口の出資者が現れてくれるしかないねすよね。でも、それもひとりひとりが集まってくる勢いがあってこその可能性だと思うんですよ。それにこのクラファンは「All or Nothing」方式なので、クラファンが失敗したら誰にも一銭も課金されないので、失敗した時にお金を損するんじゃないかという心配は無用です!
  
その他、あらゆる応援やアイデアも随時募集中です。時間との戦いで、できることできないことあるでしょうが、まあ、最後までジタバタするつもりですのでどうかよろしくですメリークリスマス&ハッピーニューイヤーです!

2019年7月21日日曜日

『天気の子』が驚くほどによかった件。※ネタバレなし

『天気の子』について村山が肯定的なのが意外だったという話を少なからぬ数の友人からされたので、ちょっとだけ整理してみようと思います(ウソです、書き終えたらかなりの長文になりました)。
 
自分が『君の名は。』に否定的なことは、劇場公開当時から身近な人たちはウザいくらい聞かされていたかと思います。ただ先日のプチ炎上騒ぎについては「劇中のある行動に対する物語上の処理が、一観客として気持ち悪いと感じるし、いい手とも思えない」という意見の表明であって、『君の名は。』の作品全体の価値の話はしていなかったつもりです。
 
その「気持ち悪さ」に限って言えば、『君の名は。』ほどじゃないけど、『天気の子』も気持ち悪いです。特に思春期の少年に「私の胸見てたでしょ~」とからってくる「ほのエロいお姉さん」というキャラ付けは、いつまでこんなことやってんだって思うくらいこっ恥ずかしいし、「女性側から冗談にしてもらってる都合の良さ」も一貫していると思います。
 
でも、それってアニメに限らず男性主体の表現が延々と抱えている幼さであり、個人的には世間の受容のされ方が変化していって欲しいと願いつつ、そこがいいんだという気持ちもわらからなくはないし、そのことを理由に作品を全否定する気はない。ただその扱い方が、『君の名は。』には問題があったのではないか、というのが自分の考えです。
 
で、じゃあなんで『君の名は。』はダメで『天気の子』はOKなんだと言われると、「いや、そういうとこ以外では、『君の名は。』と『天気の子』はビックリするほど違う映画だったんです!」と説明するしかない。
 
新海誠監督に詳しくないので、この二作品で比較するしかないんですけど、映像の切り取り方も編集のセンスもフィクションとしての現実との向き合い方も、『天気の子』の方がはるかに素晴らしかった。自分としてはマイナーチェンジではなく、「本当に同じ監督?」と疑うレベルで違っていたという印象です。
 
そんなのお前の好みだろうと言われればその通りだと思います。自分は『君の名は。』は件の「気持ち悪い」問題とは別のところでも、まったくと言っていいほど魅力がわからなかったし、作品的に優れてる点がどこなのか理解ができませんでした。でも『天気の子』に関しては、本当に面白かったし、夢中になったし、興奮もした。新海誠という人がどういう作家なのか、遡ってみようと思うきっかけにもなりました。
 
なので、村山の映画の見方に、多少なりとも興味を持ってくださる人がいるのなら、『天気の子』はおすすめです。一見以上の価値があると思います。お口に合うかはわかりませんし、相変わらずほのかに気持ち悪いですけども。
 
そして前にも書いたけどIMAXがすごくよかった。スクリーンがデカいというだけじゃなく、縦に長い画面比率が「街と空」という作品の空間設計とすごく合っていた。ただほかのフォーマットでは観てないんで、観較べてみようかと検討中です。とりあえず地元のウルティラスクリーンにでも行ってみるかな。池袋のIMAXがフルサイズで映写されてるなら間違いなく行くんだけど、それだと比較にならねえか。
 
※『天気の子』の何が具体的によくて、『君の名は。』の何がダメだったのかは、何か機会があったら書くかも知れないし、書かないかも知れません。ライター業なんで原稿の依頼があればもちろん書きますけど、まあ仕事としてのニーズはないだろうなあ。

2019年5月26日日曜日

バリ島のトラスポート事情にまつわる備忘録【2019年5月版】

先日訪れたバリのトランスポート関連でメモっておきたいことを備忘録として列挙。
バリ島個人旅行を考えてる人には多少は役に立つのでは。もっといい方法がある、みたいな話はぜひ教えていただければと思います。
 
《空港タクシー対策》

バリは空港タクシーが独占企業的に暴利をむさぼっているので、どういう方法で空港を出るのかが最初の関門になるわけですが、今回現地のUberみたいな配車サービスGrabGo-Jekを使ってみようとしたところ、時間貸しのチャーターではウブドまで行ってくれない(もしくは大幅に増額)とのこと。空港からダイレクトに目的地なら使えた気もするけれど、今回はサヌールで友人をピックアップする予定だったので断念。
 
結局徒歩で空港の外に出てBlue Birdのメータータクシーを拾いましたが、サヌール寄ってドライバーが身内を間違えて多少遠回りしたけど25万ルピア(約2000円)。空港内からは拾えないメータータクシーですが、南部エリアからウブドまで行くなら、最安とは言わずともかなりいい選択肢なのではないかと思いました。

徒歩で空港の外に出るルートは、国際線ターミナルを出て、正面の駐車場のビルを抜けた先のフェンス沿いの歩道を左へ。しばらくいけば右手に出口があります。そこでGrab、Go-Jek、Blue Birdのタクシーを呼ぶもよし。ハリスホテルのあるデウィサルティカ通りまで出れば流しのタクシーも捕まえやすい。
 
《長距離移動》
 
パダンバイからウブドまで、片道7万5千ルピア(約600円)のプラマ社のシャトルバスを使おうと思っていたが、パダンバイのプラマのオフィスがなくなっていた。バス乗り場は500m北に移転したらしいが、係員は常駐していないらしい。ネット予約もできるが前日までなので今回は使えず、当日直接行ってバスが来ない可能性も考えてプラマは断念。
 
同じ7万5千ルピアで別会社のシャトルバスも出ているようだが運行状況がわからないのと、早く出発したい事情があったのでこれも見送り。
 
GrabとGo-Jekを調べてみると、Go-Jekの方が圧倒的に安い。確かパダンバイ、ウブド間が18万ルピアとかだったような。35万とか言われても全然不思議じゃないんだが(友人が乗ったパダンバイ→クタ間のタクシーは確か向こうから安くするよって言ってきて30万だった記憶)。
 
ただし、パダンバイみたいな田舎では、値段は出てきてもGo-JekもGrabも一向にドライバーがつかまらない。30分くらい待って諦めかけた頃に、突然、近くにGo-Jekのドライバー出現。たまたま近くに住んでいて、さあクタ辺りに出てひと稼ぎするかみたいなタイミングだったらしい。
 
Go-JekもGrabも便利だけど、事前予約ができないのが欠点というか、田舎にいる時のデメリット。いや、実は事前予約機能もあるのだろうか。アプリをいじってみた範囲では無理そうだったが。(『ロスト・バケーション』でブレイク・ライブリーが辺鄙なピーチから「Uberで帰る」って言ってたが、あれも本当にドライバーなんて来てくれるのだろかと思ったのを思い出した)
 
ちなみに今回使ったのはGo-JekのCar。Bikeだったらさらにバカみたいに安いらしい。ただしBikeは30キロ以内とか制限があったはず。
 
《新規参入のトランスポートサービス》
 
今回調べていて存在を知ったのが、GETTRANSFERというトランスポートサービス。Uber、Grab、Go-Jekと似ていて、事前予約ができる。Uber、Grab、Go-Jekと違うのはアプリを必要としないことで、サイトも日本語化されていてとても使いやすい。
 
空港送迎にも対応していて、こっちの名前を書いた札をもって空港に迎えに来てくれるという(ただし遅延で待ってくれるのは一時間まで)。
 
値段もGo-Jek並みに安くて、時間制のレンタルもできる。世界各地でサービス展開していて、使えるならムチャクチャ便利だなと思ったのだが、ネットでの評判がほとんど引っかかってこない。そこで英語の書き込みを漁ると、やたらと評判が悪い。
 
「ポジティブな書き込みは全部サクラ」「問題が起きてもなかなか返金しない」「サクラっぽい投稿はほぼロシア人だからモロバレ」などなど。
 
あまりにに書きっぷりが酷いので、これは本当に酷いのか、それとも中傷されてるのかどっちかだろうと踏んで、機会があれば試してみようと思っていた。
 
で、早朝のウブドから空港(約一時間)の道のりで予約してみました。結果から言うと、なんの問題もなく快適なドライバーに当たりました。
 
このサービス、最初に値段が表示されるのだけれど、実際に申し込んでみると、ドライバーからの入札みたいな状態になって、自分で誰かひとりを選ぶシステム。なので、時間を置けば置くほど、入札してくるドライバーが増えて、安い値段を提示される可能性も上がる。
 
で、今回は最安値だった24万ルピア(約2000円)のドライバーにしてみた。選んだ理由は、値段だけでなく、個人ではなく会社名で出てきて、検索したら実在する会社っぽかったから。なけなしの警戒心。
 
考えてみたらバリ島は観光客を車に乗せるのに公的機関の認可が必要なので、GETTRANSFERがちゃんとした会社なら、提携してるドライバーは認可が下りている個人か会社ということになる。だとしたらあんまり疑う必要はないのかも知れない。
 
予約するとドライバーの連絡先がメールで送られてくるのだが、それも会社名義のメルアドになっていたので、念を入れて予約の確認をしたいというメールを送ったところ、わりと即レスで戻ってきた。
 
さらに当日連絡を取りやすいように、WhatsAppのアカウントがあったら教えてくれと。で、それから先はWhatsApp経由でやり取りをしたので、事前の不安はほぼ解消される。まあ、当日になってドライバーが現れない可能性もあるが、その時はその時で別に手配すればよいだろう。
 
果たして、ピックアップ時間の朝6時ぴったりにドライバーが現れた。もう近くでスタンバイしていたレベルの正確さ。料金は事前にGETTRANSFERにクレジットカード払い。英語もできて、ほどよく気さくで話し好きで、早朝ということもあって予定よりも5分ほど早く空港到着。
 
途中で車が増えてきた時に「ジャラントール(有料高速道路)を通るよね?」と念を押したら、通らなくても変わらないよ、と言いつつ、思い直したように高速を使ってくれた。言わなかったら有料道路の料金(約80円)を浮かすつもりだったのかも知れないが、通ったからといって追加料金を請求されることもなかった(予約時のルートはジャラントール経由になっていた)。
 
空港に着くと、特にチップが欲しそうなそぶりもなく、さくっと「じゃあねー」って言って去っていった。超スムーズ。ドライバーの当たり外れはあるだろうが、とりあえずバリでのGETTRANSFERは、結構使えるんじゃないだろうか。
 
《まとめ》
 
GrabやGo-Jekはかなり便利だけど、ウブドとかだと地元の方針でピックアップはさせないというルールがあること(抜け道はいっぱいありそうだが)。そして確認で電話がかかってくることもあるので、通話ができる現地SIMがあると便利。あとアプリの設定時に電話番号がいるので、日本で設定しておくか、現地でSIMを買って電話番号を入手する必要あり。

使ってないけど、Go-JekのアプリにはBlue Bird社のタクシーを呼ぶ機能もあった(Blue Birdはタクシーを呼べる自社アプリもあり)
 
空港周辺や南部エリアからウブドまでなら、メータータクシーは決して高くない。むしろ安い。
 
事前に手配したい時は、まだ一回きりのお試しとはいえGETTRANSFERがかなり使える印象。そして最安ではないにせよかなり安い。連絡を取って相手とやり取りできることも含めると、安心感も加えた使い勝手の良さではナンバーワンかも。
 
プラマのバスがある路線で一人か二人なら、たぶん最安に近いし今後も使うと思うけど、パダンバイの営業所の一件などを考えると、今後は別のシャトルサービスもチェックせねばと思いました。
 
サルバギタっていう地元用バスは一回3500ルピアと気が狂ったような値段なので、今度試してみたい。空港からDFS前で降りて、別路線に乗り換えたらププタン広場くらいまで行けるのでデンパサール滞在の時によさそう。バイパスで降ろされるけどサヌール辺りも空港から一本で行ける。最終的にバトゥブランまで行くので、そこからベモでウブドも可能とのこと。
 
ウブドでバイク借りたけど、もう産業革命レベルで革新が起きた。この話はまた文脈が違う気がするので今回は割愛。値切って5日間25万ルピア。一日400円。もっと安くでいけそうな気もするけど、その手間と時間を思えばこの値段なら充分な気がした。ガソリンは、バイクだとスタンドで満タンにして2万ルピア程度でした。
 
ちなみに現地SIMですが、空港の販売店は高いと思ってこれまで避けてきたけど、今回最大大手Telecomselの一ヶ月有効、21ギガまで使い放題、ローカル通話は無料、テザリング可能というSIMが空港で25万ルピア(約2000円)。係員にSIMロックフリーの携帯を渡せば即設定してくれて、支払いを含めて所要時間5分足らず。時間のロスを考えれば、観光客としてはベストの選択肢なんじゃないかと思いました。SIMロックフリーの端末持ってれば、ですけども。
 
※写真は借りたバイクのメーター。緑に光ってる警告灯の意味がわからずすげえ不安になった。まあ緑なんで大丈夫でしたけども。

2019年3月14日木曜日

イーストウッド監督『運び屋』の、夫婦の最期のやりとりのこと。

ネタバレ話をどうしてもしたいのが、仕事として記事化するほどの分量でもないので久々にこちらに投稿。

【警告】重要シーンのネタバレをします。

2018年12月13日木曜日

ハル・ハートリー《ロング・アイランド・トリロジー》デジタルレストア版、劇場公開に寄せて。

【激しく平身低頭しながらの告知】
いよいよ明日14日から劇場公開が始まるハル・ハートリー監督《ロング・アイランド・トリロジー》デジタルレストア版。ここまでたどり着くのに、これほどトラブルが頻発し、多くの方に多大なご迷惑をかけ、なおかつ支えてもらっていることに、もう感謝と恐縮の気持ちしかないです。
 
そして今年の春に、「ハル・ハートリー復活祭」という聞こえようによっては随分と失礼なネーミングの催しを始めたわけですが、今後どういう流れになろうとも、今回の劇場公開が一番の山場であり、クライマックスになるだろうと思っております。客観的に考えても、今回の三部作(『アンビリーバブル・トゥルース』『トラスト・ミー』『シンプルメン』)ほど、ハートリーの人気作が並ぶことはないと思うので。
 
劇場公開は、東京、大阪、横浜、京都、刈谷、神戸、ちょっぴり松本と今後はあちこちを回ります。クラウドファンディングで実現した2種のBOXセットも販売中です。
 
90年代に人気を博したハートリーが(他の多くの映画作家も)2000年代になって一度消えてしまった理由はいろいろありますが、ファンだと思っていた自分たちの怠慢もあったと思っています。自分にとって、このハートリーにまつわる一連のことは、「自分たちは映画をどこまで次に繋げていけるのか?」という切迫したチャレンジであるとも思っています。
 
そして、新しい世代にも響く価値と魅力がある作品群だと信じているので、どうかゴリ押しすることをお許しください。自分の立場は一介のライターでしかありませんが、なぜだか配給っぽいことに手を出して、思いもしなかった遠いところまで来てしまい、戸惑いと不安の中のわずかな希望を引っ掴んでかろうじて立っております。ほとんど泣き落としで恐縮ですが、どうかひょろっと映画館に立ち寄ってやってください。東京近辺の人は、うわさの新劇場アップリンク吉祥寺の偵察がてら、ちょうどいいんじゃないですかね。そして直接面識のある人は、どうか村山へのご祝儀だと思ってハル・ハートリー作品を観に行ってみてください!
 
※今回上映されるのは、三作とも監督の監修によるデジタルレストア版。新規日本語字幕です。
 
※あと劇場パンフが全部で96ページあるハートリー自身が執筆した回想録なので、超お得だと思います!
 
アップリンク吉祥寺      12月14日~
第七藝術劇場/シアターセブン 12月29日~
横浜シネマリン        1月19日~
出町座、刈谷日劇       2月予定
元町映画館          3月予定

《ロング・アイランド・トリロジー》日本語公式サイト
https://longislandtrilogyjp.jimdofree.com/


©Possible Films, LLC

2018年7月7日土曜日

死刑制度はまったく人間の手に負えないので廃止すべきだと思っている理由。

死刑制度について思うことを書きます。最初に言っておくと、自分はこの制度に反対の立場です。多くの人が、是なのか非なのか、いろいろと考えてしまうタイミングだと思います。自分も長い間、なかなか答えが出せない難しい問題だと思っていました。   以下に書くことは自分の体験ですが、誰かを説得する気はありませんし、激しい議論を吹っかけたいわけでもない。ただ、もしかすると、自分がそうだったように、誰かしらの参考になるかも知れないと思うのです。  
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  話は15年前にさかのぼります。映画監督のアラン・パーカーが『ライフ・オブ・デヴィッド・ゲイル』という新作のキャンペーンで来日し、取材をしたことがありました。   『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』は、死刑反対運動をしている女性が殺害される事件が起きて、デビッド・ゲイルという死刑廃止論者の男が容疑者となるミステリーです。   映画の内容は観ていただければいいとして、自分はアラン・パーカーにある質問をしました。「この映画は、死刑制度のシステム的な欠陥をテーマにしていますが、人が死をもって人を裁くという人道的な側面についてはどうお考えですか?」と。   アラン・パーカーの答えは明快なものでした。   「人道的な問題は、優先順位としては高くないと思っています。問題は、人間がシステムを運用する以上、必ず間違いを犯す、ということで、死刑はその間違いを正す可能性を永遠に奪ってしまうものだから、私は反対の立場を取ります。実際、死刑制度にまつわる問題で最も多いのが冤罪なのです」と。   「人道的な問題の優先順位は高くない」という言葉は、理屈ではわかっても、当時の自分にはどこか納得できないものがありました。ですが、次第に、人道的か否かという考え方は感情論でしかなく、明確な基準を持つことは難しいと思うようになりました。また、あまりにもケースバイケースにすぎて一概に判断できることではない。   ただ、パーカーが言った「人間は必ず間違いを犯す」という点についてはまったくその通りで、なんの反論も浮かびませんでした。そして法のシステムは、その間違いに可能な限り左右されない形であって欲しいだと考えます。   アラン・パーカーがいった言葉について考え込んで、自分なりに出た答えは、「人間には、死刑制度を適切に運用するほどの能力はない」ということでした。死刑とは極刑であり、文字通り執行してしまうと取り返しがつかない。死刑制度が「取り返しがつかない間違いをしでかすシステム」であるのなら、それは捨てるべきではないか。   松本智津夫らを擁護する気は一切ありません。感情的には、また道義的には、死刑になっても仕方がないと思っています。   ただ、死刑制度そのものが不完全で、取り返しのつかないものなのである限り「死刑は選択肢からなくすべきである」というが自分の考えです。「死刑にふさわしい罪人を処罰するために、たまに間違って殺される囚人がいても仕方ない」という考え方は絶対におかしいと思うからです。ある制度を支持することは、その制度のもたらす結果について責任の一端を負い、覚悟を持つことだと思うのですが、この責任は自分には絶対に負えない。
  「死刑制度は、人間の手に負えない」 自分が反対する理由はそれだけです。死刑が残酷であるか、非人道的であるかについては、それぞれの価値観や倫理観、実体験などによっても変わるでしょう。自分自身、確固たる答えはありません。ただ法のシステムに基づく処罰には、厳然たる理由付けがないといけないでしょう。
  だからこそ、死刑を承認した法務大臣が、会見で事件被害者・遺族・関係者の苦しみについてコメントし、彼らのために死刑が必要であったように語るのは非常に違和感がありました。法治国家の法務大臣である以上、執行の理由は、100%法律と法律が定めた手続きによってのみであるべきです。死刑の執行を命じる当事者が、倫理観や感情論をふりかざして死刑制度を肯定するのなら、それはもはや「復讐」の代理人でしかありません。   今回のオウム真理教元信者7名の死刑執行については、大きな驚きと不安を感じているので、自分の意見を整理するためにも、文章にまとめてみました。人目に触れる場所に置くことで、わずかな人数だったとしても、なにかしらの参考になれば幸いです。

2017年10月1日日曜日

「昔のIMAXはすごかった!」という旧世代の繰り言を証明してくれるエキスポシティの『ダンケルク』の話

大阪エキスポシティのIMAXレーザーで観た『ダンケルク』のことを書いておきます。
※長文注意   以前にいささか苦言を呈した『ダンケルク』という作品の評価については脇に置きます。はっきり言えるのは、昔、海外の専用劇場や新宿の高島屋やポートピア博覧会のダイエー館でフィルムのIMAXを体験したことがある人には、本当に心からエキスポシティで『ダンケルク』を観て欲しいということ。   「フィルムだのレーザーだの言うけれど全部IMAXじゃないの?」と思う人は、ググってもらったらいろいろ違いを説明しているサイトがあるはずなので割愛します。専門的なことをすっ飛ばして言うと、おそらく昔の(フィルム時代の)IMAXを知っている人は、今のデジタルIMAXの劇場に行っても「こんなもんだっけ?」と思っていたはず。   随分昔の記憶と比べているから思い出補正されているのかな、なんて考えつつも、あの「圧倒的」だったIMAXはどこに行ってしまったのかと、自分は思いましたし、ずっと思ってました。   例えばかつて新宿の高島屋にあったIMAXは、3フロアをぶち抜きで劇場が作られていて、スクリーンの高さも3フロア分あって、その前に急こう配の客席が設えられていた。画面サイズを気にするまでもなく、視界のすべてがほぼスクリーン状態だった。   フィルムのIMAXの縦横比は1.43:1。普通の映画よりも縦が長くて、印象としては正方形に近い。それが目の前の巨大な壁いっぱいに映されると、スクリーンの枠というものをほとんど意識しなくなる。   普段、自分たちは映像を枠単位で見ていると思う。ビスタであれシネスコであれスタンダードであれ、四角い額縁の中で動いている画の集合体であり、映像がキレイだった、というのは、画質のことや何が映っているかというだけでなく、四角いキャンバスの中にみごとにレイアウトされていて美しい、という意味でもあった。   その常識が、フィルムのIMAXだと通用しないのです。目の前に広がっているのは確かに映像なのに、「枠」という感覚が失われることで、そこに空間そのものが広がっているように感じるのです。これは3D映画がもたらすギミック的な立体感とは全く別のものなのです。   で、『ダンケルク』は、監督のクリストファー・ノーランがわざわざフィルムのIMAXを基準にして作った映画なわけです。ただ世界の現状として、フィルム上映ができるIMAXシアターはもはやわずかな数しかない。じゃあせめてノーラン監督にとってベストの状態に近い1.43:1の縦横比で、なおかつ巨大スクリーンで映写されている施設は、国内では大阪のエキスポシティのIMAXレーザーしかないのです。   自分は『ダンケルク』より前にIMAXレーザーで上映された映画を2本観ていますが、どちらも1.43:1よりも横長のサイズで、上下に黒みが映っていて、劇場のマックスのポテンシャルを感じられたことが一度もなかった。いや、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』は一部だけ1.43:1のフルサイズになったけれど、それもわずかな時間しかなくて拍子抜けだった。   『ダンケルク』の場合、全体の7割ほどがIMAXレーザーの巨大スクリーンを覆いつくすフルサイズで作られているので、印象としてはほぼほぼ1.43:1の映画だと言っていいと思います。   で、『ダンケルク』の上映が始まって、目の前の巨大スクリーンいっぱいに映し出された瞬間に、昔、フィルムのIMAXを観た時の衝撃がよみがえってきた。ダイエー館の鮫の映像で、母親が悲鳴を上げた記憶がよみがえってきた。映っている、というより、そこにある、としか言いようがない存在感。IMAXが一度日本から消えて、デジタルIMAXとして戻って来た時には味わえなかったあの感覚。もう表現として目指してるものが根本的に違う。「映画」じゃなくて「IMAX」なんですよ!って、抽象的で申し訳ありませんけども。   極論を言うと、現在のIMAXのほとんどは確かにスクリーンが大き目で高画質ですが、あくまでも普段見てる映画体験の延長上でしかない。だからこそフィルム時代を知る古い人間は「あんなのIMAXじゃねえよ」なんて内心では満足できずにいたし、「じゃあどれだけ凄いのか見せてみろよ!」と言われた時に返せる答えが「エキスポシティの『ダンケルク』を観て!」なのです。   「でも『ダンケルク』じゃなくてもよくない?」と思う人には、いや、上映できる劇場がほとんどないのにわざわざ1.43:1のIMAXフォーマットで作るような酔狂な映画ってほとんど存在してなくて、『ダンケルク』の次にいつ観られるかなんてわからないんですよ、と説明しなくてはなりますまい。
  とはいえ縦が長いIMAXレーザーの『ダンケルク』に戸惑ったという人もいるようだし、普通の映画館やデジタルIMAXの劇場で観て「充分面白かったし感動した」という人もいる。でもこれは映画の良し悪しの話ではなく、「IMAXってこんなにすごいんだよ!」っていう話なので、どうかエキスポシティでやってるうちに、観に行ける人は行ってみてください。   自分は関東から深夜バスで平日に片道3000円かけて行きましたが、その価値は間違いなくありました。もちろん懐に余裕のある人は新幹線でどうぞ。   ※IMAXレーザーの映画館は、大阪以外には2019年に池袋にできる予定だったはず。あとソウルと台北にもっとデカいのがあります。   追記:『ダンケルク』の初見の時は、ハンス・ジマーの音楽や音響設計が大仰で苦手に感じたのだが、IMAXレーザーのスケール感だと大仰とは感じられず、映像とちゃんと釣り合っていた印象に。ああ、この音楽も本来はフィルムのIMAX仕様で作られていたかも、と思い直した次第です。